人こと

副社長 安孝幸

『「徳」とは美しい生き方』

新年明けましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になり有難うございました。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
前号のプレジデントビューを読んで、何かを成すため、責任を果たすためには自分の言動を棚にあげることも(時には)有効だということを学びました。と言うことで、いつもながら自分を棚に上げて書かせていただきます。
徳とは何でしょうか。何故、徳を積む必要性があるのでしょうか。多くの会社が商売からビジネスへと変わってきた昨今、利益が出れば何だって良いと考える人が多くなってきた様な気が致します。
効率を求める為に色々なものが省かれ便利にはなったものの、味がしないものが増えてきました。表も裏も印刷だけの賀状の様に、不味くはないが深みのない化学調味料の味と同様の感覚を覚えるものが現代社会には溢れています。この社会が創り上げた若者達は、失敗しないことを優先に考え、ルールを守ることを優先にします。そして頑張り過ぎることに否定的な人が増えてきた様な気がします。猛烈に頑張る人に対して白けた目で観察し、時間内に自分の仕事が終わらなくても平気で帰る。

徳とは品性、徳のある人には品格があります。マナー云々かんぬんではありません。だから人や物や縁や思い出を大切にします。人が不愉快になる事を避け、人の失敗を許します。徳と得、音は一緒ですが意味は異なります。人も物も使い捨ての時代の中で徳を積むことは難しい事だと思います。徳を積むこととは、善い行いをすることだけではなく、思いやりを持つことや、人の為に心から願うこともそれに値すると思います。損得で判断せず、善悪でも判断しない。
ある社長のお母様は、社長の幼少時に、貴方が2つもの(スイカと伺った様な気がします)を持っていたとしたら、良い方美味しい方大きな方を人様に差し上げなさい、と言ってらしたそうです。徳は頭が良いから、努力をしたから得られるものではありません。育ってきた環境、なりたい人間像が大きく関係している様な気がします。
誰もが聖人君子にはなれません。だから、これでいいやではなく、美しく生きる努力をしたいと思います。
たった一回の人生。二度と会いたくない人がいる人生、誰かを許さない人生、なんかにはしたくないものです。その為には徳が必要なのだと思います。

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