『対症療法と根本(原因)療法』
進化とは、出来るようになることで、退化とは、出来なくなること。これは正解でしょうか。ここのところ、2020年のオリンピックに関わるネガティヴなニュースが多い気がしますが、白紙撤回や使用中止は理解できる判断ではないでしょうか。一度決めた事は決めた方々の利益やプライドを護る為に事実を隠してでも護る、続ける。そんな国にはなって欲しくないものです。今年、敗戦から70年が経ちました。我々が忘れてはならない事は、過去から学ぶこと、過去を忘れない事。これこそが、若くして我国の為に命を絶たれた多くの先達の方々への感謝に繋がることだと思います。間に合わないからこのまま行ってしまえ、では日本人らしくない。周りの国からどう言われても正悪の判断では世界のトップクラスを目指すべきだと思います。真似をした事は悪いことかも知れません。しかし、鬼の首を獲ったかの様に我が物顔で弱い者いじめをする方がもっと悪い気がします。間違えたら訂正する。相手を傷つけたら謝る。この行為が難しくなった現代社会の中で、果たして日本人は真の意味で進化をしていると言えるのでしょうか。
対症療法という言葉をウィキペディアで調べると、姑息的療法とも呼ばれる、と記されています。また、対症療法に対して、症状の原因そのものを制御する治療法を原因療法いう、とも記されています。姑息とは、その場しのぎという意味です。医療に限らず、経営に限らず、表面的な事ばかりを気にするのは如何なものでしょうか。そろそろ、目先の利益や恰好ばかりを考えない時代に入らないと日本と言う国の良さが無くなる様な気がしてなりません。
話は変わりますが、先日お客様から頂いた本の中に昭和32年に制定された美容師法の事が書かれていました。当時の美容師は「公衆衛生の向上」のために生まれた職業であったと。過去の美容師の仕事は、ファッションではなく、おもてなしでもなく、衛生が最重要課題だったのです。60年たった今日、美容と言う仕事が存続しているのは、進化そして成長して来たからではないでしょうか。カリスマ美容師という言葉を聞かなくなってからずいぶん経ちました。そろそろ美容業界も次のステージに上がるために、あらゆる面から対症療法ではなく根本療法での業界の治療を始めるべきではないでしょうか。頂いたその本によると、中世のヨーロッパでは、理容師の仕事は髪を切ったり髭を剃ったりするだけでなく、歯の治療や傷の手当てまで行う「理容外科医」だったと。もちろん、これから皆様に歯の治療や傷の手当てをしてくださいと言っている訳ではありません。ただ、単なる今までの延長線ではなく、現時点でははっきり何かとは解りませんが、新しい試みが必要になってくることは間違いないのだと思います。そうでないと他業種がどんどん入り込んで来るでしょう。
現在の美容師さんには絶対的に必要な感性があります。それは「美意識」です。
美容業界の中で誰よりもこの「美意識」が高く、生き様が表面的ではなく、眼と鼻が利き、賢く、人にも自分にも厳しい方が68歳でこの世を去ってしまいました。勝手で無理なお願いをふたつ返事で承諾を頂き、2010年のvol13から掲載を開始。2011年のvol15からはコラムに使用する写真を表紙に使わせて頂いておりました。当たり前の様に、今回も次回も記事を頂けると思い込んでいました。前回も前々回もその前の回も、痛みと苦しみの中で書かれていたコラムだったとは知らずに読んでおりました。17回に渡りました「美意識」の小さな話の連載に深く感謝をしつつ、故五十嵐郁雄様の御冥福を心よりお祈り申しあげます。合掌