人こと

副社長 安孝幸

『知覧』

便利な世の中だと思う。携帯電話があれば何でも調べられるし、海外の知合いとも画像付きでコミュニケーションがとれる。これはまさに科学の発達による産物だ。
しかし、化学が発達しても天候だけはどうにもならない。
5月の末から6月には我が国のほとんどが梅雨に入る。先日、遠方に出張に出かけた。その際に聞こえてきたワンシーン。「この時期に長崎が晴れているなんて奇跡だぞ、誰か強烈な晴れ男が居るに違いない」「何言ってるのよ、そんな非科学的な話があるわけ無いでしょ」「じゃあ何で晴れてんだ・・・」思わず微笑んでしまった。この齢七十代後半の先輩は本気で言っている。そしてこんな会話をよく耳にする。便利さは合理的ではあるが味気ない、美しくない。理にかなっていなさそうで理にかなっているともとれる事柄は粋に感じてしまう。

そんな事を思いながらのヒトコト。
翌週も九州に出かけた。日曜日から火曜日までの今回の社員旅行の目的は、鹿児島の知覧特攻平和会館に出向くことだった。
今現在の平和で便利な世の中があるのは、この千三十数名の戦没者のお蔭だと感じた。この記念館では、明日死ぬことが解っている特攻隊員が死ぬ前日にお母さんや家族、子供、恋人あてに書いた手紙が展示されており閲覧することができた。明日死ぬことが解っている若者たちが笑顔で写っている写真を観ることができた。彼らの手によって今のアジアがあり日本がある。今の日本が存在する。彼らは勝てる戦争ではないことを知っていたようだ。では何故勝てない戦にも関わらず笑顔で散っていったのか。それは、身をもって日本を護ろうとした若者たちが存在した、という事実を歴史に残し、いつか日本が再生すると信じていたからではないだろか。そう思いたくなった。

人としてどうすれば幸せに生きていけるのだろうか。資産を増やすことなのか、強くなることなのか、大きくなることなのか、有能であることなのか、優しいことなのか、健康であることなのか。私は命の有難さをうけとめ勇気と自信をもって生きることではないかと思った。そして、祖国、故郷、働かせて頂いている会社、家族と仲間を信じて愛することだとも思った。

奇跡の復活は起きる。必ず。しかし、アベノミクスの三本の矢で経済が良くなったとしても日本は本当の意味で良くなるのだろうか。自分の利益しか考えず、身の回りに感謝もできず、恩を忘れ義理を重んじず愚痴や不満ばかりを述べている人に幸せは訪れるのだろうか。

七十代後半の先輩達の長崎の旅が晴れて本当に良かった。そして我々の社員旅行も晴れて本当に良かった。

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