人こと

副社長 安孝幸

『誰かの為に頑張る』

先日、ある公園で、坊主頭にライン(レザーで剃ったかシザーで切ったか)を入れている小さな男の子がいるのを見かけました。また、横断歩道前で信号待ちをしていると、洋服を着ている犬をよく見かけます。誰の為に奇抜なヘアースタイルを作り、誰のためにストレスになりそうな服を着せているのでしょうか。

以前にメーカーの方と飲んでいたら「人」の「為」と書いて『偽』と読むのだから、全ては自分の為なのだと言っていらっしゃいました。人偏は「自分」なのか「他人」なのかどちらなのでしょうか(私は他人も自分もどちらも「人」だと思います)。現在の日本では、昔と違って自分の事しか考えない人が増えてきている様な気がしてなりません。これは仕事にも言えることです。話は冒頭に戻って、当たり前の事ではありますが、幼児や子供のほとんどは自分で洋服などは選べません。したがって洋服などは親の好みになります。もちろんヘアースタイルも。子供のファッションを見ていると、何だか子供が親の「バッグ」や「時計」のようなアクセサリーに見えて仕方がありません。子供の事を考え、多少格好が悪くても機能性や素材面、耐久制等を考慮して購入したような子供服を見かける事が少ないような気が致します。
可愛さだけを追求しているペットについては別かも知れません。しかし、犬にとって仮に大きなストレスだったとしたら何の為に洋服を着せているのでしょうか。南極やアラスカで活躍している犬も洋服などは着ていません。ペットはいいとしても子供達は将来の日本を背負って立つ大切な宝の原石、外見重視の親の価値観を子供に植え付けるのは如何なものかと思います。小さい時からファッションや色使いの勉強をする事は悪いことではありませんが、奇抜すぎる洋服や大人びた服装などは必要性を全く感じません。格好だけでは判断できませんが、躾もせずに「自由という名のわがまま」だけを覚えさせて何になるのでしょうか。本当に可愛いのであれば、ますます厳しくなる社会に対して、負けない精神力を子供の頃から叩き込んでいかなければならないのではないでしょうか。

「情けは人の為ならず」の意味はそのとおりだと思います。しかし、「情」は「偽」ではありません。「情」や「慈」「忠」「信」「義」「忍」などは人間が授かった最大最強の力だと思います。皆さんは数年前に新大久保駅にて、人の命を救う為に線路に飛び込み自分の命を犠牲にした韓国の学生のことを憶えていらっしゃいますか。今の日本で「人の為と書いて偽り(詐)だ」と大人が話しているのを聞いたら、彼は天国で淋しい思いをされるのではないでしょうか。

自分のことだけ考えていては会社や国は善くなりません
自分の為に頑張る事も大切ですが、誰かの為に頑張ることはもっと素晴らしいことだと思います。

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